『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』 映画レビュー|3時間でもあっという間だった大迫力と切なさ

鬼滅の刃, 劇場版, 無限城編, 第一章 猗窩座再来, 映画, 感想 漫画
この記事は約10分で読めます。
スポンサーリンク

ただの感想である。考察ではない!ネタバレ込み!!

📝 はじめに

どうも、アラフォーでも週刊少年ジャンプを読んでいる隣の鈴木(@next_suzuki)です。
劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』の感想を書き残す。

  • 鑑賞日:2025年9月
  • 場所:イオンシネマ

📘 この映画について(概要)

物語の概要と、観た理由を簡単にまとめておく。

📖 あらすじ

昔々、鬼がいました。人間は総戦力で鬼を倒そうとします。
物語はいよいよ最終決戦、第一章の幕開けです。

💡 観た理由

映画館で観てきた。

アニメや過去の映画も妻と一緒に観てきて、今回も夫婦で鑑賞した。

漫画は全巻読了済みなのでオチも知っている。

最近は「漫画=下書き(デッサン?笑)」「アニメ=本編」だと思って楽しんでいる。

漫画でよく分からなかった描写が、映画ではどのようにキレイな作画で表現されるのか確認したかった。


💭 感想まとめ

シーン単位やキャラごとに感想を語る。

🌀見終わった直後の感想

面白かった。あぁ、これは売れるわけだな、と納得。

観る前は「上映時間3時間って長すぎるだろ!トイレ我慢できないぞ!」とビビっていた。
しかし、実際に始まってみると、気づけばエンディング。全然3時間に感じなかった。

漫画で結末まで知っているのに、ここまで楽しめたのは初めてかもしれない。

🎞️ 各シーンごとの感想

各話について語るよ。

📘 無限城の世界へ

冒頭、鬼殺隊員たちが無限城へ引き込まれる。
まずは3部作に登場する主要キャラの顔見せ。

そして、Aimerの主題歌『太陽が昇らない世界』に合わせて戦闘シーンがスタート。

いきなり圧巻の作画で、映画の世界に一気に引き込まれた。

特に無限城の描写が圧巻。

無限という名にふさわしく、縦横無尽に広がる木造の部屋。
スクリーンいっぱいに広がる映像は、本当に壮観だった。

漫画で見た世界よりも、何十倍も広大に感じて「本当に同じ世界?!」と疑うレベル。

しかも、この無限城という舞台設定がチートすぎる。

  • 無限に広がる空間で、キャラたちが縦横無尽に動ける
  • 建物も壊し放題
  • 戦闘に制限がないから、躍動感とスピード感が段違い

前後の動きは、まるで電車や車の先頭座席から景色を眺める感覚。
上下の動きは、高層ビルのエレベーターから町並みを見下ろす感覚。

まさに「無限」という舞台だからこそできる描写だった。

ここでふとドラゴンボールを思い出した。
鳥山明先生は「背景を描くのが嫌だから街を壊して荒野にしていた」という逸話があるらしい。

こんな描写ができるのは、本当に「無限」を活かせる無限城だからこそ。だと思った。

ここでふと、ドラゴンボールのある話を思い出した。

鳥山明先生は、週刊連載での制作効率を上げるため、背景を細かく描くよりも街を壊して荒野に変えてしまう手法をよく使っていたらしい。
「背景を描きたくなかった」というよりも、「効率化のために描かない」という意図的な工夫だったのだと思う。

その結果、戦闘舞台が荒野や単調な景観になり、逆にキャラの動きやスピード感が際立った。
ナメック星の戦いや、ずっと白い背景が続く精神と時の部屋などは、その典型例だろう。

改めて考えると、戦闘シーンの迫力って、キャラの動きだけじゃなく「背景の作り込み」や「背景の簡略化の工夫」が大きく関わっているんだなと実感した。

📘 胡蝶しのぶ VS 上弦の弍・童磨

大枠としては、今作で一番好きだったシーンだった。

胡蝶しのぶの戦闘描写がとにかくカッコいい!!
高速移動!『るろうに剣心』の牙突のような一撃!繰り出される連撃!!
どれも漫画では伝わりきらなかった表現が、映画の作画で1000倍以上に昇華されていた。

胡蝶さんが姉の宿敵・童磨に必死に立ち向かう姿は本当に尊い。
僕自身は兄弟で育ったので、真逆の「姉妹」という構図に憧れや未知の魅力を感じてしまう。
だからこそ、胡蝶さんが斬られて諦めかけた時、姉が妹を叱咤するシーンには「姉妹愛」という未知の世界の尊さを感じてキュンとした。

いくら胡蝶さんが奮闘しても、童磨にはまったく通用しない。
頭では無力さを理解しているのに、それでも「親や兄弟、弟子への想い」だけで立ち向かい続ける姿が胸に刺さる。
想いと怒りを爆発させ、ボロボロになりながら童磨に挑み続ける姿は最高だった。

そして最後のセリフ「地獄へ落ちろ」。
儚くも力強いその言葉は、今作で一番心に残ったフレーズだ。

このシーンをここまで好印象にさせた一番の要因は、やはり童磨の存在だと思う。
声優・宮野真守さんの声が童磨にハマり役すぎて興奮した。
今作で一番「キャラと声が完全に一致していた」と断言できる。

童磨のペテン師っぽさ、女たらしの軽薄さ、人を小馬鹿にしたようなチャラチャラ感――それらを完璧に声で表現していた。
復讐のために必死に戦う真面目な胡蝶しのぶと、それを小娘扱いしてあしらう童磨の対比が際立っていて、本当に素晴らしかった。

📘 我妻善逸 VS 上弦の陸(兄弟子)・獪岳

僕の中では、原作で一番不要な戦闘シーンだと思っている。

「善逸にはもっと他の見せ場があったんじゃないか?」と、原作が終わった今になっても疑問に感じる。映画を見返してもその印象は変わらなかった。

上映時間が3時間近くあることもあって、「トイレ行きたくなるから、早く終わってくれ…」という無の境地で観ていたのも事実(苦笑)。

ただ、獪岳を倒した後のシーン――黄泉の国(?)三途の川(?)で、元雷柱のじいちゃんと会話する場面はジーンときた。漫画ではほとんど印象に残らなかったのに、映画だと彼岸花の映像が美しくて、そこは素直に良かったと思えた。

この戦闘シーンを受け入れにくかったもう一つの理由は、声のイメージが合わなかったこと。

誤解のないように言っておくと、声優の細谷佳正さんが下手という話ではまったくない。むしろ、『鉄血のオルフェンズ』のオルガや『進撃の巨人』のライナーなど、好きなキャラクターも多い。

ただ、僕が漫画でイメージしていた獪岳は「幼い雰囲気の残るキャラ」だった。
善逸の兄弟子だから年齢も近いだろうし、外見のデフォルメもどこか子供っぽさを残していた。

一方で、細谷さんの声はどうしても「ガタイが良くて、信念を持ち、仲間を引っ張るリーダー像」という印象が強い。だからこそ、獪岳のような裏切り者で、ずる賢く自由気ままに生きるキャラには結びつかなかった。

とはいえ「じゃあ誰なら合っていたのか?」と聞かれると、代案は正直浮かばない。
やっぱり声のキャスティングって難しいな…と改めて感じた。

📘 竈門炭治郎 & 冨岡義勇 VS 上弦の参・猗窩座

鬼滅の刃の中で、最も見どころのある戦闘シーンだと思っていた。

原作でオチを知っている立場からすれば、正直「ここが鬼滅の刃で一番の山場」。この後も面白い展開はあるけれど、この戦闘を超えるものはない気がする。

僕が映画を観たいと思った理由の大部分も、この戦闘シーンが映像化されることにあった。

刀が主流の戦闘描写の中で、猗窩座だけが素手で戦う。その異質さが、映像としても他のキャラと違った迫力を生み出していて強く惹き込まれる。

透き通る世界に入った炭治郎も、漫画では「何が変わったのか?」と正直よくわからなかったけど(笑)、映画ではドラゴンボールのサイヤ人や界王拳のように目の色が変わり、明確な変化が伝わってきた。

一方で気になったのは、猗窩座の首を切った後。首がないのに動いて炭治郎を攻撃し、義勇さんが気絶した炭治郎を守ろうとするシーン。これって原作にあったっけ? 僕には冗長に思えてしまった。猗窩座がこの後に自ら終わりを選ぶと知っているからこそ、「無駄に引き延ばしてる」と感じてしまったのかもしれない。

ただ、追加されたシーンの中でも猗窩座の過去はとても良かった。墓石を洗ったり抱きしめたりする描写は、罪人でありながらも親を真摯に想う優しさが見えて胸に残った。

それから恋雪の声が最高にハマっていた。病弱でおとなしいキャラにぴったりの、ひ弱だけど可愛らしい声。あまりに合っていたので「誰だこの声優さん?!」と気になりながら観ていた。

エンドロールで「Lynn」と出てきたけど名前を知らず、後で調べたら『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のミオリネ役だと知って衝撃を受けた。印象が全然違って驚いたし、今後も注目したいと思う。

そしてクライマックス、猗窩座が恋雪を思い出し、強さへの執着や呪縛が解けていくシーン。僕は「ここで泣く」と予想していたのに、実際は泣けなかった(苦笑)。

理由は隣の席の小学生低学年くらいの子。大事なシーンでポップコーンをバリバリ食べ、さらにジュースを啜る音と氷のカラカラ音が重なって、完全に集中を持っていかれた(笑)。

人によっては「親の教育がなってない!」と怒るかもしれないが、僕は違った。むしろ「低学年で3時間の映画はキツイよな」と同情のほうが強かった。内容的にも子どもには退屈な場面だろうし、時代背景や流罪・毒殺なんて理解できないよな、と。

ただ、その子の母親の心境を考えると複雑だ。僕が親だったら「周りのみなさん、ごめんなさい…」と思ってしまう。でも、その「ごめんなさい」が積み重なるからこそ、子持ちの家庭が「映画館に行きづらい」と感じてしまうのかもしれない。

そもそも、あの場面は子どもにとっては退屈に映っても仕方ないと思う。戦闘シーンのような派手なアクションではなく、猗窩座がなぜ悪に染まったのか、その過去と罪を背負う姿、そして炭治郎と出会ったことで恋雪を思い出し、強さへの呪縛から解き放たれる――そんな人情噺だった。大人なら感情移入できる内容だけど、小学生には理解しづらく、ただ「地味なシーン」に見えてしまったのだろう。

🎞️ 印象に残ったシーン・演出

「どこかで泣いてしまうかな?」と思いながら観ていたけど、実際に涙腺が動いたのは1箇所だけだった。

本当はクライマックス、猗窩座が恋雪を思い出し、強さへの執着や呪縛が解けていくシーンで泣くと思っていたのだが、先ほど書いた子どもの咀嚼音のせいで、そんな気持ちは1ミリも湧かなかった(笑)

それでも、猗窩座が病弱な恋雪を看病するエピソードを語る場面では、心の涙腺がちょっと動いた。

理由は、病弱な恋雪が、自分の妻と重なって見えてしまったからだ。妻も病弱である。比べるものではないが、恋雪は大人になって回復した。しかし僕の妻は現代医学では治らないから、もっとたちが悪いかもしれない。

弱った時の妻の弱音と、猗窩座の心情が自分の感情と重なり、妙に共感してしまった。

ただ、自分の妻と違う部分もある。妻は恋雪のように頻繁には謝らない。僕は「もっと謝ってほしい」と思う瞬間もあるし、「恋雪のように、もう少し謙虚になってくれたら…」とも思う。
でも同時に、「本人が一番つらいのだから、謝らなくてもいい」という猗窩座の気持ちにも共感してしまう。
セリフを聞きながら、自分の願望と現実の感情がせめぎ合った。

さらに、猗窩座が恋雪のために「強くなりたい」と語るシーンを観て、ふと妻と付き合い始めた頃、自分にも同じような気持ちが少しはあったことを思い出した。今はすっかり薄れてしまったけど(苦笑)。

文字にすると妙に怪しく聞こえるけど、別に妻が嫌いになったわけでも、愛情が消えたわけでもない。

では、なぜ消えたのか?と考えると、きっと子どもが生まれたからだと思う。優先順位が妻よりも子どもに変わってしまった。自分の「強さ」は妻のために使うのではなく、妻と二人で協力して子どもを守ることに使うものになったのだ、と気づいた。

つまり猗窩座の描写を通して、かつては持っていて今は消えてしまった感情を思い出すことができた。


🔮 おわりに

第二部を楽しみに待ちたい──本来ならそう書くところだけど、正直どうせ『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のときと同じく、まずはアニメ放送で分割され、その後に第二部の映画上映が始まるんだろうな…。そんな気がしている。

それでもやっぱり映画館で観る価値はある。
鬼滅の刃は漫画だけだと「わかりづらいな」と思う場面が多いけれど、アニメの丁寧で美しい作画で補完されることで、やっと理解できる部分が多かった。今回もまさにそれを実感した。

だからこそ、最後まで映画館で観たい。
せっかく三部作でやるなら、三部すべてを映画館の大スクリーンで見届けたいと思う。


📎 過去に観た・読んだ鬼滅の刃のレビューはこちら

▶ 「鬼滅の刃」全巻感想まとめ|1巻〜23巻の巻別レビューリンクまとめ

「鬼滅の刃」全巻感想まとめ|1巻〜23巻の巻別レビューリンクまとめ
『鬼滅の刃』全23巻の感想を、巻ごとにゆるく記録しています。アニメや映画の流れも踏まえて、ざっくり振り返る自分用まとめです。

▶ 「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」感想・レビュー

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 -感想- 漫画を完全補填!!
話題の映画を観てきた。原作を越えるクオリティ。もはや技が別の作品だよ!!冬休みシーズンで子供もいっぱい。

タイトルとURLをコピーしました