僕が9年経験した客先常駐(SES)を辞めた理由

僕が9年経験した客先常駐(SES)を辞めた理由, IT, プログラマ, SE 雑談
この記事は約21分で読めます。
スポンサーリンク

どうも、サラリーマン歴が約12年の隣の鈴木(@next_suzuki)です。

今回は 僕が 9年経験した客先常駐(SES)を辞めた理由 をまとめてみた。

はじめに

僕はこの2年間、客先常駐(SES)を辞めたくてしょうがなかった。
来月から客先常駐が主体の会社から、自社開発の会社に転職する。
転職の記念に書き残す。

ぼくについて

まず僕が どんな客先常駐の経験者か 紹介する。

勤めた会社2社
客先常駐の年数約9年
客先常駐の数7箇所

僕は1回転職したので、2社で客先常駐として出向させられた。
1社目は会社ではSIerという名の客先常駐(SES)を3年。
2社目は自称自社開発だったが、実際は客先常駐(SES)の会社で、客先常駐を6年経験した。

書き残す理由

下記の理由から書き残す。

人間は過去の嫌な気持ちを忘れる。

意外と辛い経験は忘れやすい。
僕は日記を15年以上書いている。
10年以上昔の日記を読み返すと、辛い経験を忘れていることが多い。
忘れることは良いことだと思う。忘れるのは人間が幸せに生きるための本能なのだろう。
今の気持ちを大切するため、忘れないために書き残す。

客先常駐を辞めようか悩んでいる人のために

同じように客先常駐を辞めようか悩んでいる人が世の中にはいると思う。
僕も辞める前は何度も悩んでネットで同じような思考の人がいないか記事を探した。

正直、そんなのお前の努力が足りないだけ。
と思う人もいるだろう。
その指摘は多かれ少なかれ事実だと思う。
しかし、僕には耐える能力がなかった。

もし、僕と同じように悩んでいる人がいて、
こんな理由で辞めて良いのか?逃げじゃないのか?と思うかもしれない。
そういうときに僕のたいしたことない辞めた理由を読んで、
「あぁーこんな理由でも辞めて良いのか。」と思ってくれたら嬉しい。
ありがちな内容ばかりかもしれない。
でも、誰かの人生を前に一歩進めるキッカケに繋がれば嬉しい。

客先常駐を辞めようと思った理由たち

辞めようと思った理由を書いていく。
客先常駐を辞めたい人に共感をもらえたら嬉しい。
または、これから客先常駐になる人、客先常駐になるか悩んでる人へ、
もしかしたら将来、こんな体験をする、気持ちになる。ということの参考になれば嬉しい。

殺し合いの螺旋 を降りたい

客先が変わるたびに、
新しい人達に出会って、その職場の環境や仕事を覚える。
客先常駐である限り、これが繰り返される。
会社を何かしらの理由で辞めるまでは、これが永遠に続く。

話が少しズレるが、
僕は漫画『バガボンド』が好きだ。
作中に主人公の宮本武蔵が『殺し合いの螺旋』について悩む。
天下無双のために殺し合いを続ける主人公・武蔵。
作中では、序盤から敵だった宍戸梅軒が武蔵と戦闘で次のセリフを言う。

殺し合いの螺旋から俺は降りる

引用:バガボンド 13巻

僕は客先常駐の仕事が『殺し合いの螺旋』のように思えてならなかった。
会社を辞める(天下無双を諦める)まで永遠に続く繰り返し…。
終わらない殺し合いのように、
終わらない職場変更…。

僕は客先常駐を約9年経験して思った。
「僕はこの職場変更の螺旋から降りたい」
もうこの繰り返し作業には疲れた…。
そうして僕は転職することにした。

君、敵だね

客先常駐の会社でありがちな懇親会。
だいたい月に1回ある。
「日頃、別々の客先で会えない社員と懇親を深めるために開催される。」

ある時、僕は先輩に自分の職場がどこなのか伝えた。
すると先輩から言われた。

「君、敵だね。」

当時、まだ入社して3年目の僕には意味がわからなかった。
えっ、どうして先輩は同じ会社の僕を「敵として認定」したのだろう?!

先輩の職場を聞くと、
先輩は僕の常駐先が取引している会社に常駐していた。

先輩の常駐先が、僕の常駐先の資料や成果化物を評価していた。
お互いの会社は損しないために駆け引きをするわけである。
よって、先輩は僕を敵と認識したのだ。

僕は先輩の敵, 僕が9年経験した客先常駐(SES)を辞めた理由, IT, プログラマ, SE

まあ言いたいことは理解できなくもない。
ただ、同じ会社の人間。しかも、指針となる先輩に「敵」と言われたことは本当に悲しかった。
僕は同じ会社の先輩を他社の人間のように思えてしまった…。

「親睦を深める」とか会社や上司は言う。
しかし、実際の現場の社員の気持ちは、こんなようなギスギスしたものだった。
中途半端な仲間の交流なんてこんなもんである。

こんな事を言われるのは、
客先常駐のせいだと思った。

客先常駐は自社への帰属意識が低くなる。 とよく言われている。
そういう意識の結果が今回のようなことを招いたのだ。と当時は思った。

まあ、こういう敵対的な人間もいたけど、
しっかり優しくしてくれて、悩みを真剣に聞いてくれる人もいた。

新入社員の繰り返し

客先常駐のメリットで「いろいろな場所を経験できるので知識が広がる。」とある。
それは確かにあるので認める。
ただし、浅く広くである。

客先常駐は、僕は1,2年で職場が変わることが多かった。
その1,2年で得られた知識は表面的なことばかりだった。

今は古い考えかもしれないが、
仕事はとりあえず3年続けろ。という言葉があった。

それは3年経ってやっと表面的なことを覚えて、
次の根幹的な部分を覚えれるからなんだと思う。

僕は3年経つ前に抜けることが多かった。
だから、新入社員のように新しい知識を覚えてばかりだった。

ITの知識は職場が変わっても役に立つじゃないか!!と思う人がいるだろう。
それは間違いない。

ただし、客先が変わると他のことも変わる。

  • 通勤のルート
  • 事務手続き
  • 入館手続き
  • コーディング規約
  • 使用するツール

これらが全て1から覚え直しだ。

例えば、部屋の入り方だって常駐先で全然異なった。

例えば部屋に入るときに、
必ずIDカードを認証機に通す必要があった。
このIDカードの認証のしかたに3パターンあった。

  • 入るときだけ
  • 入るときと出るときの両方
  • 別に最初に入る人だけ通せば良い

などの違いがあった。

こんなの些細なことで、1ヶ月くらいあれば慣れるだろう。
と思うかもしれない。

僕も最初はそう思った。
でも、何度も繰り返していく、うちにその地味な積み重ねが無駄に思えてきた。
この時間をもっと他のこと、勉強などに使えたら有意義なのでは?と思った。

あとは経験がデメリットになってきた。
過去の癖のせいで新しい職場に順応できずらくなった。
それは年齢のせいなのかもしれない。
あれ?あそこは往復だったけど、ここは片方でいいんだっけ?と、
疲れているときに混乱してしまうときがあった。
これが3ヶ月くらいいれば習慣化して慣れるのだが、最初の1ヶ月くらいはマジで辛い。
些細なことだが、この些細なストレスが地味に体力を削られた。

人間は新しい知識を覚えるのはストレスらしい。
だから、環境が変わるのは、とてもストレスだ。

もし客先常駐でなければ、
こんなストレスは少なかったのに…。
常駐先が変わるたびに、こんなことを繰り返し考えるようになった。

資料作りも最初から

仕事をこなすために、必死に職場のノウハウを資料化する。
しかし、客先常駐が終わるときに、その資料は守秘義務契約の関係で持ち出せない。
(ダメでも内緒で持ち出している人はいるけどね!!※推奨しません)

必死に何時間もかけて作った資料が全て無駄になる。
資料は客先独自のものもあれば、IT業界で通用する資料もある。

客先独自は守秘義務などがあるのでしょうがないとは思う。
ただ、IT業界で通用する資料を消すのは辛い…。

正直、客先が変わったあとに、
前の客先でまとめた資料があれば効率化できたのにな…。と嘆いたことはあった。
あの資料をコピペして応用できれば楽だったのに!!!
そんなイライラを何度も感じた。

そんなの家でまとめておけ!!と思うかもしれないが、
仕事で疲れて帰ってから家にまとめるなんて、よっぽど体力ある活発な人間じゃないとやらないよ!!
てか、家でまとめても必要な客先に持っていけないんだから意味がない。
印刷して持っていけば良いかもしれないが、あまり社外から客先に資料を持ち込むのはよろしくない…。

客先で何度も資料を作った。
何度も作っていて思った。

あれ?同じような資料をまた作ってない?
新しい客先に行くと、いつも自分なりの雛形資料を作る。
その仕事がある時に、ふと無駄に思えた。

自分の中で、
点と点がいつまでたっても永遠に繋がらないように思えて、
どうせまた客先が変わるんだから、この資料も将来は読めないのだから僕には無駄になるのだろう。と思った。

休みにくい

有給休暇を毎年20日以上もらう。
しかし、こんなのは使えない。

客先常駐じゃなかったら使えるのか?と言われたら、そりゃあ環境で違うでしょ。とは思う。
ただ、なぜ客先常駐だと使いにくいのか?は書いておきたい。

時代は「できることができているなら良い」という流れになっている。
その意見は正しい。
ただし、客先の社員の人は「お金を払って来てもらってるんだから、なるべく多くの時間いて欲しい」とは思っている。

だから、常駐社員の『休み』はお客さん的にはデメリットなのだ。
いくら契約の時間内とはいえ、できれば多くいてもらいたい。

ツタヤでDVDやCDをレンタルすることを想像して欲しい。
7日のレンタルで、貸し出し期限ギリギリの7日まで借りておくのと、
さっさと3日で返してしまうの、どっちが損した気持ちになるだろうか?

人間は得をすることよりも損しないことを重視する。
なるべくならギリギリまで使っておきたい。
客先常駐の契約も同じだ。
最大160時間契約をしていたら、なるくべ160時間くらいまで働いて欲しい。
140時間くらいしか働いてくれなかったら、損だ。と思う。

いろいろな客先で『仕事が出来る』と褒められる先輩がいた。
その先輩はたしかに頭が良くて仕事ができていた。
ただ、途中から客先から褒められるのは、仕事ができるのではなく、
『休まず毎日いるからではないか?』と思った。
その先輩は滅多に休まなかった。
先輩はいろいろな仕事を受けて、結果的に受けすぎて潰れた。
鬱病になってしまった…。

客先は雑用みたいな仕事、めんどくさい仕事を常駐する人に回してくる(仕組み上これは当たり前だとは思うよ)。
客先にいくと頼まれた仕事は断りづらい。
断ると常駐先に来ている他の会社に仕事を取られてしまう。
取られると自分が契約を切られる。
だから、断れなくて仕事をやりすぎて鬱病になってしまう…。

この頼みを断れる人間もいるわけだが、そういう人は人間味で評価されている人がお多い。

そんなわけで仕事が多すぎて休めない。
休みは客先にデメリットな印象しか与えないのだ。
僕はそんな印象だった。

無理な稼働契約

契約の関係で休めないことが多かった。
契約は1ヶ月の労働時間は最低140時間~最大160時間などだった。

例えば連休をとりたい!!と思っても、
この労働時間の制限のせいで、下限を下回るから有給を消化できない!!などもあった。
上司に相談すれば良いのだが、これはどこの環境でも同じだろうが上司次第である。
上司くじ?上司ガチャ?って言えばいいのか?!笑
嫌な奴は本当に嫌なことを言ってくる。
休日前に「明日は申し訳ないですが休みます。」と言ったら「謝るなら休まなくて良いよ。」と言われたこともあった。

ある時、
月の最低労働時間が毎日必ず出勤することが前提の数字った。
有給休暇を1回でも取得したら絶対に足りない。
つまり体調不良で休むことも難しい。

厳しい原因は、客先が夏休みで出れない日にちがあるからだった…。
自社で作業すれば良いではないか!と思うかもしれない、
しかし、客先で作業が必要だから客先常駐しているわけである。
いやいや、こんな無理な契約ねえだろ(苦笑)と嘆いた。
「休んではいけない」という圧迫が地味にストレスだた。

客先常駐で客先に合わせているから、こういう事象がおきる。
もし、自分の会社に勤務していたら、こんなことは起きないのでは?と考えた。

コロナ疑惑で連絡三昧

客先常駐をしていて、2021年に新型コロナウィルスが流行っているせいで酷い目にあった。

当時、一つ会社を経由して客先常駐をしていた。

客先→契約会社→自社

二重派遣とかについては割愛する。
僕はこのときに39度の熱が出た。

僕は客先と直接やりとりしていたので、客先だけ連絡を取れば良い。と思った。
しかし、会ってもない自社の上司からも連絡が来た。
常駐先と自社の両方から「高熱だからコロナなのか?」「PCR検査の結果はいつ出るんだ?」
などなどの連絡が来た。

体調を崩す自分が悪いのだろうが、
正直、39度の熱が出て身体が疲れているときに、
何度も連絡が来たのは辛かった。

体力が弱っているのに、「お前はコロナなのか?!」と自社と客先から責められているようで、精神的にも辛かった。

もし自社だけなら連絡のルートは1つだけで済んだのにな…。
客先常駐だから、こんなに複雑で面倒くさいことになったんだ。と思った。

二人のデメリット

初めて客先に常駐したとき、上司が遅刻魔だった。
仕事はできる人だった。
しかし、遅刻がひどくて、午後に出社することが多かった。
毎朝、部下の僕が客先の社員さんに「今日もうちの上司は遅れます。申し訳ありません。」と謝った。
客先の社員さんに「君は可哀想だね。」と言われた。
なんかすごい惨めだった。ことを10年以上経った今でも覚えている。

仕事で困ったときなど遅刻していないので、聞けないことが多かった。
来ても遅刻したぶん、仕事が溜まって忙しいので、なかなか聞いてもらえなかった。

たまにくる部長などは同情はしてくれたけど、
上司は何も処罰もなく、最後まで改善することもなかった。

もし自分の会社で勤務していたら、周りの人が気づいてくれてフォローしてくれただろうし、
上司の遅刻はもっと低評価されただろう。と思った。

君は会社が違うから教えられない

客先常駐で一番イヤだったことがある。

それは同じ客先常駐の他社の人に言われた言葉だ。

「君は会社が違うから教えられない」

これを言う人が2,3人いた。
だいたい50代くらいのオジサンだった。

言われるたびに、
どうして同じ良い製品・システムを作ろうとしているのに、
なんでこんなこと言うんだろう?と思った。

でも、冷静に相手の立場で考えれば、意図はわかるし、納得できる。

もし、僕に新しい知識を教えたら、その教えた他社の人の仕事が減って、最悪、クビになる。
もし、僕が知らないままなら、僕はお客さんに切られるかもしれない。
僕が切られれば、他社の人は自社の社員を増やせるチャンスが増える。

要は僕を潰そうとしているのだ。
でも、仕事は競争だから、こういうやりとりは当たり前だとは思う。
これが客先常駐の仕事なのだ。

頭では理解しているけど、
客先の人たちは「みんなで協力して、実際にシステムが使う人たちが喜ぶ良いシステム・製品を作りましょう」と良く言った。
僕だって客先の人が言ったとおりにしたかった。

常駐先の社員は協力会社さん同士で協力しようと言うけど, 僕が9年経験した客先常駐(SES)を辞めた理由, IT, プログラマ, SE

でも、実際はこういう嫌がらせとは違うんだけど、
情報共有の阻害があって、うまくいかないことが多かった。

こういう職場が3箇所くらいあった。
世の中のシステム(某銀行のシステムとか)が良くならないのは、
おそらく、この情報共有の阻害が積もり積もったものが原因だと僕は思っている。

もし、教えてくれたら、
仕事の効率も上がって、他の作業に時間を回せて品質とかが上がるじゃないか!と思った。

この文章を読んでいる人たちは、
「そんな負の連鎖に客先の人たちは気づいてないのか?」と思うかもしれない。
しかし、僕は客先の立場になったことがないので、その疑問の答えはわからない。

ただ、自社に客先常駐に来た人たちとは話したことがある(ざっくりと説明すると二重出向の人である)。
その人達は僕が客先だからと言って、僕に色々と教えてくれた。
一言目に「常駐先だから君には教えるけどー」と言ってくる人もいた。
つまり要はお客さんに気に入られたいから、情報を提供しているだけなのだ。
これも仕事としては正しい行動だとは思う。

常駐先の実状, 常駐先の社員は協力会社さん同士で協力しようと言うけど, 僕が9年経験した客先常駐(SES)を辞めた理由, IT, プログラマ, SE

ただ、僕はこういう環境が嫌だったし、
そんなセコいことをしてしか勝ち残れない人たちと仕事をしていることが凄い嫌になってきた。
そして自分が将来この人達と同じような50代になってしまう気がして怖かった。
この環境に残り続けたら、そういう人間になってしまう気がした。

常駐先のパワハラ

これも別に客先常駐じゃなくてもあるかもしれないけど、
客先常駐で客先の社員が常駐社員をいじめていることがあった。

自社の社員には優しいのに、常駐社員にはキツく当たる人(仮:Aさん)がいた。
どれくらい酷いかというと、
僕がAさんと一緒に仕事をすることになりそうになったとき、
違う客先の社員さん(仮名:Zさん)が「Aさんは常駐社員をイジメるから、一緒に仕事をしなくて良い。」と言って、
裏で手を回してくれて、一緒に仕事をしないで済んだ。

今でも忘れられないけど、
よくAさんにイジメられている常駐社員の人(仮名:Lさん)がいた。
Lさんが落ち込んでいたし、つらそうだったので、
「自分の健康が一番大切ですよ。」と僕は言った。
僕の発言はとても無責任だと思う。
だけど、僕はそれなりに鬱病で辞めていった人たちを見てきた。
だから「耐えろ」とは言えなかった…。そんなの美談だ。
耐えられない人間だっているのだ。
逃げちゃダメではない。逃げることが必要な時もある。

Lさんと話したのは、それが最初で最後になった。
翌日からLさんは来なくなった。
来なくなった理由が僕の言葉のせいかは不明なままである。何しろそれ依頼会っていないのだから…。
でも、Lさんの行動を僕は正しかったと思う。

Lさんを見ていて「明日は我が身だ」と思った。
その予想は当たっていて、
Aさんとは違う人にハブられて結局ぼくは半年後にその職場を去った。

自社だったら、もっと他の社員や先輩に助けてもらえたんじゃないか?と思った。
助けてもらうって思考が甘いのかもしれない。
ただ、その客先では孤独だった。
まあ客先じゃなくても、この例は変わらないかもしれないけどね。

自社の先輩が教えてくれない

僕は自社で作業するまで、客先常駐で先輩に教えてもらった。育ててもらった。という実感が少なかった。

理由は、
最初の会社は、先述したとおり、
先輩が遅刻気味だった。

先輩は自分ではなく、自社に客先常駐として来ていた他社の客先常駐の人に僕の指導を任せていた。
他のプロジェクトも、他社の客先常駐の人が僕を指導してくれた。

二社目では、
先輩たちの思考は、
「株式会社じぶん」だった。

つまり、フリーランス?自営業な感覚だ。
自社の後輩を後輩を育てよう。とかそういう思考はない。
なぜなら、客先常駐で客先にいて他社の社員感覚なので、いざ自社の社員が増えても部下という実感がないのだ。

そんなわけでまともに教えてもらったことがなかった。
良く言えば「自由にやらせてもらった。」とは思う。
だけど、入社して5年経ってから自分の能力の低さに愕然とした。

もし、ちゃんと先輩と数年間一緒にやれたら、もっとスキルアップできたのでは?と思った。
それは妄想かと思ったけど、自社で2年間作業する機会があった。
その時は色々と先輩に教えてもらえて、育ててもらた。という気持ちがあった。

そういう気持ちもあるから、
自社に愛着を持てた。

正直、客先常駐している間は、先輩も教えてくれないし、
他の職場の人には会わないし、
自分も「株式会社じぶん」だと、次第に思い始めた。

だんだん、昨今流行り始めた、
フリーランスと客先常駐との違いがわかりづらくなって嫌な気持ちになった。

稼ぐ感覚

僕の会社だけかもしれないけど、
意外と自分がいくら稼いでいるのか知らない人が多い。

やっぱし色々と客先常駐に欠けていることを調べていても出てきたんだけど、
稼ぐ意識が低い。気がした。

客先の言われたことをやる。アルバイトと大差がない。
そんな作業ばかりしているせいか、自主性が失われる。
最初はもっとこうしよう!と提案するけど、
やる気がないお客さんだと「そんな面倒くさい提案するなよ…。そんな暇ないんだよ。」と嫌な顔をされる。
だから、言われたことだけやるようになる。100点を目指す。120点は目指さない。
いつしかそれが当たり前に思えてくるようになった。

そういう精神が、もっと稼ごう。
生き残る工夫をしよう。とか、そういう思考が減っていく。

自社開発だと、自分の製品を売るために何とかしなければ!!と思う。
だけど、客先常駐だと言われたことをやっていれば
毎月、固定である程度のお金がもらえる。
商品が爆売れしても関係ないから、そういう爆売れを狙おうとも思わなくなる。

そんな工夫をしない思考が、世の中で生き残るためにはNGだと思うようになった。

年齢を重ねると需要が下がる

IT35歳定年説というのがIT業界にはある。
35は40だったり45だったりする。まあニュース記事を書く人がいろいろ好き勝手にイジっているのだろう。

これは、年齢を重ねると最新技術に追いつくのは辛いから、
35歳までが限界で、36歳以降は引退する。という話だ。
これは少し違うと僕は思う。

僕が思うに、知識も多少はあるけど、
35歳を過ぎると客先常駐が少し難しくなるからだ。
歳を重ねれば重ねるほど厳しくなる。

最初は20代で入る。
客先の30代くらいのチームリーダーの方が若いからチヤホヤ可愛がってくれる。

運良く、そのチームリーダーと共に仕事を20年くらい続ける。
ある日、チームリーダーが定年する。
そうすると、だいたい一緒にいたオッサンは数年後に切られる。

切られる理由は色々ある。
おじさんは単価が高い。
あと知識も古いし、体制が定年退職したチームリーダーの思考だ。
新リーダは、古い知識よりも、
新しい技術を好む。
自分が若い時に育ててもらった感謝の気持ちもあるけど、
ぶっちゃけ年上の人は扱いづらいから切って、
もっと単価が安くて若い技術と可愛がりやすい若い子が欲しい!!と思う。

そんなわけで切られる。
切られた人は、その職場しか知らないから、他では働けない。

僕の会社ではそういう理由で辞めていった50歳の人が二人いた。

僕は、その二人をみて、将来の自分だ。と思った。
このまま客先常駐を続けていたら。
同じような結果になる。

自分で未来を変えないと!!
そのために客先常駐をやめよう。と決心した。

伸びないスキル

常駐する客先によるだろうが、
古いシステムの保守ばかりでスキルが伸びなかった。

任される業務は保守ばかり。
運良く、その古いシステムを作り直すときに、
新システムの開発チームに加入できれば良い。
そうすれば開発の経験ができる。

開発の経験を積むと、
設計などにも携われたりして、
次の違う客先にも行きやすくなる。

しかし、運が悪く、
ずっと保守の業務を4,5年積む。
そうすると次の職場が見つかりにくい。

保守の作業は単調な作業の繰り返しだ。
だから、いつしかその作業に慣れてしまって。
向上心がなくなってしまう。
なんとなく過ごしてしまう。

そしてある時、客先に切られるか、抜けなくてはいけない時が来る。

そのとき、ふと自分のスキルをみると、何もないことに気づく。
僕もその一人だった。

のちに自社で客先常駐の紹介メールを何度も見ることがあった。
紹介される人の職務経歴をみると、保守を経験した人ばかりだった。
開発者はほぼなし。

他人事には思えず、あぁ僕もこの人と同じなんだな。。と嘆いた。
そんな自分を辞めるために転職することにした。

客先常駐でも成功する方法

客先常駐の悪い?点ばかり書いたけど、
それは僕目線の話だ。

世の中には、定年するまで客先常駐で勤めている人がいる。
だから、一概に客先常駐が不幸とは限らない。とは思う。

世間には「客先常駐が向いてる人」もいるのだ。

そんな向いている人の例を僕が職場で見てきたなりに書いておく。
別に転職しなくても、こういう人なら客先常駐でも平気だろうな、と思ったパターンを書いていく。

図太い人

客先常駐は「客先」に常に気を使う。
ただし、気を使わない図太い人もいる。

こういう人は客先に好かれるか好かれないかはともかく、
技術さえあれば、なんとか生き残れたりする。
客先も「あー、こういう人なんだな。」と思って割り切ってくる。

図太い?ので、
適度に休めるから体調も壊さない。

日本では「気遣い」が重要視されるけど、
そういう気持ちがちょっと足りないほうが客先常駐では、
精神を病まずに生き残れる。と思った。

人脈を作れる

自分の会社に不満が溜まったとき、会社が不景気になったとき、
すぐに移れるように人脈はあったほうが良い。

こういう人脈がある人は、過去の常駐先に戻れたり、
常駐先で一緒だった違う常駐派遣の会社に転職したりできる。

また職場とは関係ない人脈もあったほうが良い。
自社とは無関係な勉強会などに参加しておけば、
スキルアップもできるし、その繋がりで転職などにつながる。

まあ、そんな無関係な人脈ある人は、
さっさ客先常駐に見切りをつけて自社を辞めて、自社開発などに転職している印象だ。

客先に転職する

あまり良くないけど常駐先の会社に転職するのも手だ。
昨今の世の中は厳しいから、あまりできないかもしれない。
でも、僕の周りにはそういう人がチラホラいた。
法律とか上辺はいってるけど、やっぱし袖の下みたいな感じで、
裏でなんとかして入社とかいうのはやっぱしいつの時代になっても無くならないのだ。

管理職になる

これが手堅い。
各プロジェクトの管理になる。
そうすれば自社の作業が多くなる。
IT業務とは離れるが、給料も上がるし悪くない。
転職市場もこういう管理できる人材を求めてたりする。

辞めたい理由でも述べたが、
客先常駐は年齢が上がれば上がるほど、
客先での作業が辛くなってきて需要が減っていく。
だから、さっさと客先で業務しないような社内ポジションになったほうが良い。

おわりに

人には向き不向きの場所がある。

きっと客先常駐が向いている人はいると思う。
だけど、ネットで調べると客先常駐の苦悩を嘆く人が多いから、
やっぱし良い職場環境は少ないのではないか。と思う…。

僕は自社開発の会社に転職する。
でも、それが自分に向いているのかはわからない。
客先常駐のほうが向いていたな。と思うかもしれない。
もしかしたら、数年後にこの文章を読み返して「あぁこっちのほうが楽だったな。(苦笑)」と嘆くかもしれない。

世間では客先常駐を抜け出して、自社開発か社内SEになることをオススメする記事で溢れている。
僕はそんな記事につられているだけかもしれない、惑わされているだけかもしれない。
でも、それはやってみないとわからないから、僕は前に進みつづてみる。
社会で生き残るために。

タイトルとURLをコピーしました