僕が会社を辞めた理由

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どうも、サラリーマン歴が約12年の隣の鈴木(@next_suzuki)です。

今回は 僕が 会社を辞めた理由 をまとめてみた。

はじめに

僕は転職することになった。
転職の記念に書き残す。

会社に不満とかない人は、この記事は絶対に読まない事をオススメする(苦笑

ぼくについて

IT系の企業で約12年サラリーマンを経験している。
今回、5年以上勤めた会社を辞めて転職することになった。

書き残す理由

下記の理由から書き残す。

こんな酷い理由でも辞めて良い!と伝えたい

この内容は、
「こんな理由たいしたことない理由で会社を辞めても良いのかな?」
と悩んでいる人に参考にしてもらいたい。

正直、これから書く内容は、
消極的だし、僕の努力や忍耐力が足りなかった部分も多々あるかもしれない。
人によっては「それは甘えだ!!責任転換だ!!ただの言い訳だ!!」と思う人もいるだろう。
しかし、僕は他人からはそう見えたとしても「会社を辞めたほうが良い」と思って辞めた。

他人の評価を気にして、今の会社から抜け出すことを躊躇している人がいたら、
「会社は、こんなしょうもない、くだらない理由で辞めても良いんだ!!」と伝えるために、
僕はこの内容を変えている。

自分の人生のために、後悔しないために、移り変わりの激しいこの世の中で生き残るために!!

人間は過去の嫌な気持ちを忘れる。

以外と辛い経験は忘れやすい。
僕は日記を15年以上書いている。
10年以上昔の日記を読み返すと、辛い経験を忘れていることが多い。
忘れることは良いことだと思う。それが人間が幸せに生きるための本能なのだろう。
今の気持ちを大切するため、忘れないために書き残す。

将来の自分のために

昔の体験談を読み返すと、心が落ち着くことがある。

「あぁ…このときに比べたら、今は大したことないや。あの時は耐えれたんだから、今だって耐えれるさ。」と勇気をもらうときがある。

今回も将来の自分に辛いことが起きた時、
笑ってやり過ごせるようになるために書き残す。

辞めた理由

数年の恨みつらみのような、愚痴みたいな、辞めた理由を書いていく。

尊敬できない先輩たち

尊敬できる先輩が少なかった。
完璧な人間がいないのは理解できる。

しかし、
独身で自己中だったり。
仕事は出来るけど精神を病んだり。
アルコール中毒だったり。

経営陣以外は、
あまり尊敬できなかった。

そういう先輩たちをみていると、
僕も将来はこの先輩たちと同じようになるのかな?
と不安でたまらないときがあった。

「他人は他人、自分は自分」というのはわかる。
でも、人を育てるのは環境でもあると思う。

こういう先輩たちが育ったのは、
この会社の環境のせいなのでは?と思うようになった。

そんな不安から辞める決意をした。

客先常駐の将来性

仕事は客先常駐が主だった。

先輩も客先常駐がほとんどだった。
僕が中堅になったころに、先輩たちは50代を過ぎた。

先輩たちが50歳を過ぎてたら、客先常駐をクビになった。
社内の残る先輩たちは、
技術が廃れていて次の常駐先がなかなか決まらなかった。
決まったとしても古い技術ばかりだった。

もし、自分が50代になったら?
この先輩たちから教わった技術で、今後の世の中を生き残れるのか?

そう考えるととても不安で、
僕は会社を変えることを考えた。

定年退職できない

先述のクビを切られた先輩は、
定年を目前にして自らの意思で退職した。

社外にでるのは年齢的に厳しかった。
定年までの残りの余生を考えると、社内でダラダラと過ごすこともできたと思う。
でも、退職した先輩は、会社の負担になることが嫌だから辞めた。のだと思う。

自分の会社のために、客先でストレスに耐えながら仕事をしたのに、
クビになったら自社に戻ることもできず、辞めることしかできないのか。と思い、
自社のために頑張ったのに、自社に助けてもらえないこと、自社で終わりを迎えられないこと、が、
とても悲しいことのように思えた。

僕は先輩をみて、
あぁ…、客先常駐の末路がこれなのか…。と悲しくなった。
自分の将来だと思った。
だから、僕は先輩のようになりたくなくて会社を変えることにした。

否定形ばかり

40代を過ぎた人が多い会社だった。
みんな保守的だった。

なにかをやろう。と言う人もいないし。
社長が「やろう」と言えば、
それは無理だ。と否定したり、何も言わないで無言な人ばかりだった。

僕の後輩で、最新の技術が好きな人がいた。
その会社は、この会社に嫌気が指したのか辞めてしまった。

僕は色々な成功者が
「今の時代は移り変わりが激しい。
新しいことに挑戦する習慣がなければ、どんどん時代に乗り遅れて社会で生き残れない。」
と言っていることを聞いて、

あぁこの会社では将来は怪しい。他の会社に移ろう。と決心した。

ただ、これは本来なら、
そういう先輩たちを自分の力で「やろう」という思考に変える必要があった。とも思う。
僕は先輩たちに負けたのだ。先輩たちの「やらない」に屈したのだ。

茹でガエル

ある日、社長が社員に向けて「茹でガエル」の話しをした。

茹でガエルとは、
現状に満足しているうちに、社会から乗り遅れていることを気づかず、
気づいた頃には、もう手遅れ…。
みたいな話である。

先輩たちはそうだけど、自分はそんなことはない。と慢心していた。

しかし、社長にあとで呼び出されて、
僕の茹でガエルな行動を指摘された。
社長の指摘に「そんなことありません!」と言い返したかったけど、
自分で考えても、まさに茹でガエルだな。と納得してしまった。

雷に打たれたような衝撃とは、まさにこのことだった。

このままでは本当に体の芯まで茹でガエルになってしまう。
「井の中の蛙大海を知らず。」というように、

このまま井戸の中にボーッと過ごすよりも、
空の青さを知るために、僕は違う井戸に移動することを誓った。

神話化した新入社員

僕の会社は小さい。
それでも生き残っているから、それなりな強みの分野があった。

しかし、ある時から違和感を覚えた。

強みの分野で、特定の知識が必要だった。
会社に入社してから、しばらく経ってから気づいたが、
その根幹のノウハウがどこにも資料化されていなかった。
ソースには存在する。
でも、説明できる人は社内の一握りの人物。
しかも、その人は社外に客先常駐していた。

そんなブラックボックスな製品を売っていることに疑問を感じながらも、茹でガエルで過ごしていた。

ある時、その特定の知識に近い分野の学歴を持つ大学院卒業の新入社員(以降:Z君)が入社した。
その分野で疑問があると、何でもその新入社員に聞いていた。

経営者たちは「Z君に聞けばわかるはず。」と言った。

僕は「なんで新人に聞くんだ?」と疑問でならなかった。
自分の会社の長所なのに、自分自身も含めて先輩である人間が答えられないのだろうか?
彼に教えてあげれるくらいではないといけないのではないか?

そこで自分の会社が、技術のノウハウもないし、それを継承していないことも気づいた。
中小企業のメリットとして、技術が向上しない、継承されない。と言う例を目にする。
自分の会社はまさにその典型例な気がした。

僕はそんな会社に危機感を感じた。
転職するために、自費で休日に学校に通って技術を身につけた。

社内には「使えないヤツ」を残す

ある日、社長が僕に「働き蟻の法則」について語った。

働き蟻の法則とは、
10割の社員がいたら下記のように分類されることである。

  • 2割:優秀な社員
  • 6割:普通な社員
  • 2割:微妙な社員

この割合が色々なことに当てはまる。
学校の合唱コンクールや文化祭を思い出して欲しい。
2割はやる気があり、6割は普通に作業して、2割はサボったりやる気がない。

社長は僕にこの法則の話をした。
そして客先常駐できない社内にいる社員は、
「2割:微妙な社員」だ。と言われた。

たしかに社外に出せなかったと言うことは、
社会で市場価値がないことを意味する。
だから、その考えは間違っている。とは思わない。
会社を経営するためには、社員を守るためには、
定期的に一定賃金を稼げる客先常駐を行う必要がある。
その安定を堅牢にするために「2割:優秀な社員」を客先常駐させたい、経営者の気持ちは理解できないわけではない。

ただ、僕は会社を「2割:微妙な社員」の掃き溜めにしている事に疑問があった。

表向きは自社開発の会社だった。しかし、実際は客先常駐だった。

それでも自社開発には、一定のお金をかけていた。
自社商品は、10年以上前にヒットしたことがあるらしく、
先輩たちは「自社商品がヒットすればボーナスがでるだよ。昔はあったんだ。」と何度も口にした。
でも、僕が滞在している間に、一回もヒットしたことはなかった…。
在籍中に発売した商品も、販売ペースが遅くて、いつしか大手の会社に似たような製品を出されて惨敗した。

社内で数ヶ月業務をしていて気づいた。
「2割:微妙な社員」で構成された自社開発。

「2割:微妙な社員」なので、
保守的でやる気がない。新しい技術に興味もない。
こんなメンバーでは新商品がなかなか進まないのも納得だった。

ある時、社内勤務の後輩(T君)が知人(Y君)を会社に引き入れた時があった。
Y君は、社内研修後に客先常駐となった。
その配属にT君は怒っていた。

僕はT君に怒っている理由を聞いた。
T君は「Y君は優秀なんですよ!なのに、どうして社外に出しちゃうんですか?!」と言っていた。
僕はこの言葉を聞いた時、客先常駐だったし、社内の実情を知らなかった。

後に、社内の実情を知って、T君の怒った理由がわかった。
Y君は社外にでても、定期的に社内に来て「新アイデア」などを提案していた。
今思えば、彼こそ「改革(新しいことに挑戦する行動)を起こせる人間」だったのだ。
先輩たちに同調した僕とは違い、Y君は周りの先輩など気にせず行動する人間だった。

僕はY君をみていて、
うちの会社には、Y君みたいな人間が社内に必要なんだ。と思った。
そしてT君が怒った理由は、このことだったんだ。と気づいた。

この体制では、いつまで経っても新商品は売れない。と思った。
よく年配者が「バブルは良かった。」と口癖のように言っているように、
先輩たちが「「自社商品がヒットすればボーナスがでるだよ。昔はあったんだ。」」と、
いつ訪れるかもわからない未来を期待する気にはなれなかった。
それにヒット商品を出したのは、まだ社長が今よりも若い時だった。
社長は70歳を超えていた、もうそんな元気もあるようには思えなかった。

何よりこの思考は他力本願だ。
本来はY君のように自分の力で変えなければいけない。
だけど、僕はそれができなかった。できない。とあきらめた茹でガエルだった。
だから、自分を変えれないから環境を変えることにした。

仕事がバラバラ

僕は客先常駐が主だったが、
ある時から常駐先がバラバラだった。

IT系だが、業界も言語もバラバラだった。
正直、経営陣が何を伸ばしたいのか疑問だった。
ゴールをどこに定めているのか、わからなかった。

自分自身も業務を重ねて経験を積んでいるのに、
初心者をやり直しているようで嫌だった。

点と点ばかりで、それらの点がつながって線になるようには、とても思えなかった。

ある時、気づいた。
この会社には、点と点をつなげる人脈がないことに。
いつまでたっても点ばかりだった。
いつも新しい会社との繋がりばかりだった。
新規開拓といえば聞こえは良いけど、企業20年以上の会社とは思えない不安定さに思えた。
ある時、二重派遣のような形になった。

僕はここで見限った。
この会社に任せてはいけない、環境を変えよう。と決心した。

本来なら、自分で今までの客先で人脈を作ることが仕事だった。と思う。
人脈が気づけたら、今まで一緒に仕事した人から仕事を紹介されて、会社のフォローができた。んだと思う。
僕はそこがうまくできなかった。
僕は客先常駐社員として失敗作だった。

社長と相性が悪い

これは言いがかり(筋の通らない文句)と思われてもしょうがない。と思う。

けど、社長と相性が悪かった…w

なんの相性が悪いかと言えば、
「タイミング」が悪かった。

例えば、僕が失恋で傷ついて落ち込んでたり、
これから引っ越そうとか重大な決心をしたり、
この日は記念日だから休もう。
とか、そんな僕には重要なイベントのタイミングで、
社長はだいたい僕が関わりたくないような仕事の話(異動とか)を持ってきた…。

もはや疫病神なのではないか?!と思った。
傷口に塩を塗られたような気分に毎回なった。

「人生は短い」と言う言葉がある。
だからこそ、こんな相性の悪い不快な気持ちにさせる社長じゃなくて、
他の社長と仕事をしたい。と思った。
他にも理由はあるけどね。

でも、人間同士の相性ってこんなもんじゃない?!笑

酷い理由で社長に申し訳なかったけど、これは転職の理由として結構あるw

社長が客先常駐をわかってない

社員の半分以上は客先常駐だった。
しかし、自社の社長は客先常駐したことがなかった。
小さい会社なので客先常駐を依頼するような余裕もなく、
客先常駐の社員を扱ったこともなかった。

これは長所であり、短所でもあった。

長所としては、
経営者目線としては非情になる必要のときもある。
客先常駐の経験がないから、僕らの気持ちを想像できない。
だから、それは情に流されずに、会社の経営を一番に考えた判断ができていた。

短所としては、
僕らの気持ちをわかっていなかった。
僕が「リーダーになりたい。」と言ったら、
「客先常駐でリーダーになっている人もいるよ。」と言っていた。

それは客先の配下でのリーダーのことだった。
仕様とかのやりとりは客先がやる。
常駐社員の僕らはその情報を元に作業するだけだ(例外のパターンもあるかもしれないけど)。
僕は自分が客先とやりとりしたかった。
僕は社長に自分の意見が伝わっているようには思えなかった…。

他にも客先常駐の苦労とかも伝わってない気がした。
「客先はリーダーや、上流設計が出来る人を欲しがっている。」と言ってきたが、
なぜ客先がそう言っているのか現場の真意を理解しているようには思えなかった。

僕は客先で低評価されないために、あまり休まないようにしていた。
そのほうが客先には喜ばれる。と思ったからだし、客先は労働時間の制約上、休みにくいからだ。

しかし、僕が自社に出勤して、
社長の勤務をみていると、体調不良や私用で休んでいた。
なんか真面目に自社のためにと思って、勤務していた自分がバカバカしく思えてきた。
そして、社長には一生、客先常駐で休みづらいことを理解してもらえないような気がした。

そういう理解の温度差が、だんだんと嫌になってきて、辞めることにした。

反省点としては、
僕はその客先常駐の苦労について熱心に社長に説明しなかった。
長所が崩れる。って気持ちもあったし、言っても理解されない。というあきらめた茹でガエルでもあった。

振り返ってみれば、少しくらい言っても良かったのかな。とタラレバを考えている。

売れない自社製品の養分

先述したが、表向きは自社製品を扱っていた。

しかし、売れない商品だった。
売上も公表しない会社だから、正直、利益になっているのか怪しかった。

ある時から気づいた。

客先常駐は、このヒットするかわからない商品のために稼いでいるのだ…。
僕はこんな商品を支える?養う?ために、この会社に入ったわけじゃない!!

後述する理由により、自社商品のメイン商品にも携われなかった。
そんな理由もあって、僕は会社を辞めることにした。

主力製品の営業が社外の人頼み

自社でメインで売ろうとしている製品があった。

ただ、その商品は色々な会社の人と提携している事業だった。
僕が一番嫌だったのが「営業」も社外の人だったことだ。

しかも、その営業の人が新幹線で1時間も離れた距離である。
いくらテレワークの時代だから、と言っても厳しいものがあった。

社長がよく「新商品を考えろ。」と言ってきた。
僕は新商品を考えるには、ユーザーが何に困っているのか知る必要がある。と思っていた。
そしてそれを知っているのは一番ユーザーと近い営業である。

現場も知らないのに「新商品」を考えられるわけがない。と思った。
社内で発案回があったけど、どれも本業とは関係のないアイデアばっかしだった。
そこを経営陣は理解してないようだった…。

これからメインで頑張ろうとしている商品を、
他社の人間と頑張ろう。としている点に疑問があった。

経営陣は、他社の営業の人と協力して頑張っていた。
しかし、同じ会社の自分としては、信頼されてないようや、蚊帳の外のような気分だった。
この経営者は自社の社員を外で働かせて養分にして、
その間に社外の人間と売れない商品のために頑張っているのか…。と思えた。

自分が携わってないないこと、しかも他社の人間に任せていること、
そんなことから僕は、もはや運任せな気がしてきてしまった。

他人に運命を任せてられるか!
自分の人生は自分で決める!!
そんな気持ちから僕は会社を変えることにした。

本来は、
僕が営業やります!くらいの事を言うべきだったのかもしれない。
でも、度胸も営業の経験もない僕は、環境を変えることに逃げたのだった。

お客さん「一番良い時期だね」

ある時、常駐先のお客さんに自分の年齢を伝えた。

「一番良い時期(年齢)だね」

と言われた。

僕はこの言葉がとてもとてもショックだった。
人生の中で他人が一番良い。と評価してくれる時期に、

僕は、いったい、どうして、こんなやりたくもない仕事をやっているんだろう?! と嘆いた。
自分に怒りすら覚えた。

でも、こんな状況になったのは自業自得だった。
自分のせいなのだ。

だから、僕は自分を変えるべく転職を決心した。

このお客さんはメンタルコントロールができる良い人だった。
元気かな。

今思えば、この言葉のおかげで転職に本腰を入れられた気がする。
もうきっと一生会えないけど、感謝の言葉を伝えたい。

労いの言葉がない

コロナ中に体調を崩した。

その時は二重派遣のような業態だった。

自社から「早くお客さんに連絡しろ」と来た。
「お大事に」などの労いの言葉がなかったのは、更に精神的に応えた。

この客先はコロナの感染者数が多い東京の23区だった。
コロナは怖いけど、会社のために神奈川から東京に通っていたのに、
一方的に客先との好印象を優先させる自社の人間に疑問を覚えた。

社長が船長らしくない

リーダーというものは指針を示す必要がある。

と僕は思う。持論だ。

しかし、社長にはそれがなかった。

漫画のワンピースのルフィように「俺は海賊王になる。」とか、
「あいつをぶっ倒すぞ。」みたいなこと、ワガママで荒唐無稽なことは言わない人だった。

良く言えば冷静だったけど、悪く言えば人情味がなかった。
僕には何を目指せば良いのかわからなかった。

会社は「船」だ。と「地道力」の本に書いてあった。
僕もそう思う。

人生は航海だ。
自分が賛同する「船(会社)」に乗る。
船長の目的に同調してゴールを目指す。

でも、今の社長はゴールが何か伝わってこなかった。
何がしたいのかよくわからなかった。

それは聞き出せなかった自分に責任があると思う。
昔は教えてほしい。と言った。
けど、最後までそれを教えてもらったことはなかった。

結局、僕たちは船に乗っているようで、
みんなバラバラに個人で動いているだけだった。

オールを漕いでも、みんなバラバラな方向に漕いでいたんだと思う。
だから、前にも後ろにも左右にも進まなかった。
そんなミステリーツアーな船が嫌で僕は船を降りる決心をした。

まあ、無茶振り言われても「そんなこと出来るわけないだろ!」と愚痴をこぼすだけだったかもしれないけどねw
でも、短い人生だからこそ、船を突き進めることを続けていきたい。

おわりに

愚痴ぽくなったが、学びもあった。
社長や先輩のことを色々と書いたが、
僕が退職するときは「頑張ってね。」と応援して送り出してくれた。
会社を裏切った分、次の環境では成長できるように頑張りたい。

もしかしたら、次の会社に入社したら、
辞めた会社のほうが良かったかな。と後悔するかもしれない。
でも、それは行動した結果だから責めたりしない。
それよりも転職しないまま後悔するほうが嫌だった。

次の会社では少なくとも「茹でガエル」にはならない!!
そのために僕は行動して転職した。
これからも立ち止まらないために動き続ける!!!

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