「人生の壁」読了レビュー|“数字と正しさの呪い”から解放された一冊

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📖 はじめに

「人生の壁」(著者: 養老孟司さん) の感想。
ただの感想である。考察ではない!ネタバレ込み!!


📘 この本について(概要)

物語の概要と、読んだ理由を簡単にまとめておく。

📝 あらすじ

「人生」や「社会」をどう捉えるか──著者の考え方が淡々と語られる一冊。

⏱️ 読了までにかかった時間

  • 6時間33分

『バカの壁』は何度も寝落ちしたが、今作は

  • 話題が比較的現代寄りで理解しやすい
  • この2点のおかげか、一度も寝落ちせずに読み切れた。

❓ なぜこの本を読んだのか?

きっかけはシンプル。
「最近の養老孟司さんは、どんな思考にたどり着いているのだろう?」
それを知りたくなったから。

最近の“壁シリーズ”が気になった

『バカの壁』は2003年の本。
それ以降、20年以上にわたり“◯◯の壁”シリーズがいくつも出版されてきた。

『バカの壁』を読み終えたとき、ふと思った。

  • あれから20年、著者の考えはどう進化しているのか?
  • 当時の思想と変化はあるのか?
  • 80歳を超えた今、どんな境地にいるのか?

ちょうど2024年に『人生の壁』が発売されていて、レビュー評価も高い。

「これは読んでみるしかないだろう」と思い、手に取った。


💭 感想まとめ

アラフォーのおじさんが好き勝手に感想を述べる。
僕には難しすぎて、本の内容を完全に理解できていないので、著者が読者に伝えたいこととは見当違いなことを書いているかもしれません!

🌀読後の感想

『バカの壁』を読んだ直後なので、どうしても比較しながら読んでいたが――

  • 扱われている話題が最近のものなので理解しやすかった
  • 世間の常識とは真逆の考えが多く、「それでも良いんだ」と思える余裕をもらえた
  • 考え方がすでに“悟り”の境地に突入している
  • あとがきが異様に客観的で驚いた(あれはもはや哲学者)

✅ 良かった点

  • 知らない単語・人物がバンバン出てくるので、勝手に“知的になった気”になれる
    • …もちろん、本当は理解しなきゃ意味がないけどね。苦笑
  • 「失われた30年」を否定するなど、あらゆる常識に逆張りしてくる視点が新鮮
    • ニュースを鵜呑みにするな、自分の頭で考えろ――それを体現している内容だった。

❤️ 気になった点

世間と真逆の主張を、ここまで堂々と言って大丈夫なのか…? と一瞬心配になるレベル。

  • もう著者は“そういうキャラ”として社会に受け入れられているのかも?
  • 発言に本質的な誤りがないからこそ、反発されにくいのかもしれない。
  • ある意味では「世間からどう思われても構わない」と腹を括っているから、遠慮なく言いたいことを言えているのだろうか?

💡 学び・気づき

数字や論理を“絶対視”しないこと

10年以上エンジニアをやってきた自分は、
「論理!数値化!言語化!」こそ正義 と信じていた。

けれど、この本はそれを優しく否定してくる。

  • 人間のコミュニティは数字やロジックだけで動いていない
  • 特に日本は“論理ではなく空気”で動く部分が多い

こうした現実を、改めて突きつけられた。

おかげで、自分の中にある「バカの壁」を少しだけ壊せた気がする。

自分の頭で考えよう

ここでも「失われた30年」を否定するなど、世間とは逆の視点が続く。

ニュースをそのまま信じるのではなく、“自分の頭で考える”とはこういうことだ
と改めて理解した。

仕事とは穴を埋める作業

仕事の本質を「穴を埋める作業」と表現していて、たしかにそうだな。と、相変わらずのうまい言語化に舌を巻いた。

自分は派遣業みたいなものをしているが、たしかに穴を埋める人が足りないから、一時的に手伝ってくれない?!みたいな感じで、穴を一緒に埋めているんだもんなー。

仕事とは“穴を埋める作業”

この例えが妙に刺さった。

仕事とは、誰かが開けた穴・誰かが抱えた穴を埋める行為。
自分の仕事(派遣でのスポット参画など)を振り返ると、本当にその通りで、
「人手が足りないところを、一時的に埋めにいく」
というのが本質だなと思った。

シンプルだけど本質的な言語化に唸った。

仕事とは“穴を埋める作業”という表現が妙にしっくりきた。

自分はシステムエンジニアで、いわゆる SES(準委任。派遣みたいな働き方) の仕事をしている。
常駐先のプロジェクトに入る時って、だいたい 「人手が足りない」「特定スキルが不足している」 みたいな“穴”ができたタイミングだ。

だから、現場に入ると「足りていないところを埋めるために呼ばれた存在」という感覚が常にある。

著者が言うこの一言は、本当に仕事の本質をスパッと捉えている。
読みながら「確かにそうだよな…」と感心させられた。

📖 各話ごとの感想

各章の感想を書いていく。

以下で引用する章タイトルは『人生の壁』(養老孟司 著)から引用。
感想・批評は僕自身のものである。

📘 第1章 子どもの壁

この章は、まさに今の自分に直結する内容だったので、とても参考になった。

褒めること、自然と触れ合うことが子育てに大切——
ずっとそう信じてきたけれど、この本はその考え方を“肯定してくれる側”の内容で、
読んでいて少し背中を押された。

とくに「花鳥風月に10分触れさせる」という話は、
“10分”というハードルの低さが自分にちょうどハマった。

読後、息子と一緒にベランダに出て、ただ外の景色を眺める時間を作るようにした。
「鳥が鳴いてるね」「紅葉が始まったね」「今日は寒いね」
そんな他愛もない声かけだけど、
自分なりに息子に“自然を感じてもらう時間”を意識してつくっている。

そして、そうやって息子と過ごす時間がとにかく愛しい。

本の後半には「生きる意味なんて考えなくていい」と書いてあったけれど、
この時間こそ、僕にとっての“生きる意味”なんじゃないか?とさえ思えた。
大義名分はいらない。身近な幸せで十分だ。
そんな気持ちに整理がついた章だった。

📘 第2章 青年の壁

「トンネルと中身」の話は、読んでいて完全に自分の勘違いに気づかされた。
“トンネル=自分”で、その内部は他者によって埋められていく——
確かに、人生を振り返るとそうだと思う。

そして、若い時期の“我武者羅”さを肯定してくれたのが嬉しかった。
自分も20代は我武者羅に働いていた時期があったので、
「それはそれで良いんだよ」という言葉に救われる感覚があった。

もちろん、メンタルや身体が壊れない範囲で、という大前提付きだけど。

📘 第3章 世界の壁、日本の壁

「バカの壁」が分かりやすく要約されていて、
ここでようやく自分の中でも“バカの壁ってこういうことか”と腹落ちした感覚があった。

世界の文化や宗教に触れる部分は、自分の知識不足もあって苦戦したけど、
逆に“知らないことを知れる喜び”もあった章。

島国だと、外からの脅威が日常的に迫ってくるわけではない。
陸続きで他国と接している国々と違って、
外の価値観や文化を“意識せざるを得ない場面”がそもそも少ない。

だから、

  • 外の世界を想像しにくい
  • 外国の価値観を自分ごととして捉えづらい
  • 結果として、世界との感覚のズレが出やすい

という構造なのだと思った。
(これはあくまで僕自身の解釈であり、著者が直接書いていたわけではない。)

📘 第4章 政治の壁

著者は“お祭りに人が集まる理由”を取り上げていた。

僕は元々お祭りが苦手で、
「なぜこんなに盛り上がるのか?意味ある?」
といつも疑問だった。
(今年は子どものために何度か参加したので、余計に考えた)

最近は海外で盆踊りが流行っているというニュースまで見て、
もう完全に意味がわからなかった。
私など何度もお祭りに参加しているが、盆踊りの輪に入りたい。と思ったことは一度もなかった。

その答えが「集まること」と書いてあった。たしかにそうなのかもしれない。
人間は元々は生き残るために群れて暮らす生き物だ。だから、どこかに集まることが生き物の本能として正しい答えな気がした。

また、著者が書く「日本は理屈よりも“空気”」という話も納得しかなかった。
政治ニュースをよく見るようになった今、本当にそう思う。

僕は石丸伸二さんの動画をよく見るけれど、
彼を否定する人たちの意見を見ると
「政治は理屈じゃなくて空気だ」という価値観が強く感じられる。

実際、石丸さんは政権を取れていない(本人の意図はさておき)。
これは“空気の国・日本”の象徴なのだと感じる。

さらに「数字を信じすぎるな」という話。
石丸さんや西村博之さんが「数字はあるのか?」と言うのを聞き慣れていたので、
自分も数字至上主義に寄っていたことに気付かされた。

大事なのは“数字そのもの”ではなく、
「その数字の根拠が正しいのか?」を考えること。
自分の浅はかさを痛感した章だった。


お祭りの“意味”はどこにあるのか?

著者は “お祭りに人が集まる理由” を取り上げていた。

僕はもともとお祭りが苦手で、
「なぜあんなに盛り上がるのか?意味があるのか?」といつも疑問だった。
(今年は子どものために何度か参加したので、余計に考える機会が増えた。)

さらに最近、海外で盆踊りが流行っているというニュースまで見て、
ますます意味がわからなくなった。
僕自身は何度も参加してきたけど、盆踊りの輪に入りたいと思ったことは一度もない。

そんな疑問に対して、著者が示した答えが「集まることそのものに意味がある」 という視点。

それを読んで、なるほど…と腑に落ちた。
ここから先は完全に僕の解釈だけど、人間は歴史的に “群れで生きてきた生き物” だ。
だから、理由がなくても “集まる” という行為自体が、本能的に安心感を生むのかもしれない。


空気が支配する国・日本

著者が語る「日本は理屈より“空気”で動く」という指摘には、強く共感した。

政治ニュースをよく見るようになって、まさにその通りだと感じる。
僕は石丸伸二さんの動画をよく見るのだけれど、彼を否定する人たちのコメントを見ていると、「政治は理屈じゃなくて空気だ」という価値観が強くにじみ出ている。

実際、石丸さんは政権を取れていない(本人が本気で目指しているかどうかは別として)。
これは “空気を読んで動く日本社会” の象徴にも思えた。


「数字を信じすぎるな」でハッとした

もうひとつ響いたのが「数字を信じすぎるな」という話。

石丸伸二さんや西村博之さんの
「数字はあるのか?」という言葉にすっかり慣れていたせいで、
自分も“数字=絶対に正しい”という思考に寄っていたことに気づいた。

大切なのは数字そのものではなく、

「その数字の根拠が正しいのか?」
「どんな前提で作られた数字なのか?」

を考えること。

自分の思考が数字至上主義に偏っていたと痛感させられた章だった。


📘 第5章 人生の壁

著者は「人生相談を受けることはあっても、自分が誰かに相談したことは一度もない」と語っている。
その一文を読んで、35年以上の自分の人生を振り返ってみても──
たしかに自分も誰かに相談した記憶がほとんどない。
ここに強い共感が生まれた。

著者の理由は「聞いても仕方がないから」。
僕自身もまったく同じで、最終的に決断して動くのは自分だと思っている。


他人は動かせない、という実感

会社で新人教育をする中で気づいたことがある。
人にチャンスを与えることはできても、
相手に“その気”がなければ、結局は動かすことはできない。
これは自分にも当てはまる。
誰かに相談しても、自分が動かなければ何も変わらないのだ。


「相談文化」への違和感と、やっと得た肯定感

昔、40〜50人の大きな飲み会に参加していた時期があった。
そこには“メンター”として崇拝されている人がいたのだが、
正直、僕にはその存在が理解できなかった。

もちろん、相談して救われる人がいるなら、それは良いことだと思う。
ただ、自分自身はそういう文化になじめず、
むしろ「相談しない自分は異質なのでは?」と錯覚した時期さえあった。

だからこそ、そのメンターよりもはるかに長く生きている著者が
「人に相談したことがない」と書いていた事実に、
すごく救われた。
自分の生き方を肯定してもらえたような感覚だった。


“とらわれる”から抜け出すという視点

著者が書く「人生相談のポイント」が腑に落ちた。

悩んでいると、人はそのことばかり考えてしまう。
その状態こそが、著者の言う “とらわれている” のだと思う。

よく「時間が解決する」と言われるけど、
あれは状況が自然と変わることで
その悩みから意識が離れ、とらわれなくなる
という意味なのだろう。

だからこそ、悩みに固執せず「忘れる努力」も大切なのかもしれない。


悩みを言語化する文化は昔からあった

和歌や短歌は、昔の人たちにとって“悩みの言語化”だったという指摘も面白かった。

僕は百人一首を題材にした漫画『ちはやふる』を読むので、
何百年も前の短歌に現代人が共感できる理由が
「悩みが言語化されているから」
という考え方は腑に落ちる。

今の時代はX(旧Twitter)に気軽に悩みを投稿するけれど、
数百年後、もしかしたら現代の投稿に共感する人がいるのかもしれない──
そんな不思議な余韻もあった。


“メメント・モリ”と人生の質

「メメント・モリ」という言葉が出てきた時、
僕はゲームタイトルだと思っていたので驚いた。

死を意識すると人生の質が高まる──
これは昔からある思想で、実際、今の自己啓発にも通じていると感じた。


向き合わなくていい悩みもある

著者は「悩みと向き合う必要はない」と書いていた。
今の“過去と向き合うのが正義”とされる風潮の真逆で、読んでいて強く安心した部分でもある。

仕事や勉強もそうだけど、
苦手なものは避けつつ、工夫して乗り越えていく
という方法だって、立派な生き方だよなと思った。


共感の本質に気づく

今年は「共感の重要性」を感じることが多かったが、
“なぜ共感が嬉しいのか”という根本は考えたことがなかった。

著者の言葉に触れて思ったのは、そもそも共感されないのが普通だからこそ、共感してくれる相手を大切に思えるのだ ということ。

文字にすると当たり前だけど、
当たり前を当たり前と思わずに感謝する──
そんな気持ちを思い出させてもらった。


生きる意味を求めすぎなくてもいい

最後に書かれていた「生きる意味」について。

SNSの普及で隣の芝生を見やすくなり、
なんでも論理的に説明しようとしがちな時代。
“意味がある行動”ばかり求めてしまうのは、その影響かもしれない。

でも、
休日に息子と笑いながら公園を散歩するだけでいい。
それだって十分“生きる意味”になり得る。

著者の言葉に触れて、そんなふうに肩の力が抜けた。

また、「オフィスに意味のないものを置く」という話も印象的だった。
最近よく言われる“スマホを見ずにぼーっとする時間が大事”という考え方にもつながるように思えた。


📝 まとめ

読む前は正直、少し冷やかしの気持ちがあった。
「バカの壁」という平成の大ヒット作を書いた偉大な人とはいえ、
“85歳のおじいちゃんが、本当に今でも鋭い内容を書けるのか?”
“さすがに変なこと言ってるんじゃないか?”
と疑いの目で見ていたのも事実だ。

しかし、実際に読み終えてみると──
そんな心配は完全に無用だった。

もちろん、出版社側がうまく構成した部分もあるとは思う。
でも、いくら編集者が優秀でも、この内容は“著者自身の頭”がしっかりしていないと絶対に書けない。
やはり養老孟司さんは健在で、今なお鋭い視点を持ち続けている人なのだと実感した。

「ボケない人は本当にボケないんだな」と思った。
そういえば、自分も投資や相続のことで 87歳の親戚のおばあちゃんに相談したが、
話は脱線しつつも、言っていることは的確だった。
年齢だけで“思考の鮮度”を判断するのは、まさしく『バカの壁』であり、本当に失礼だったと反省した。

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